取組事例など

春日部市の取組事例などから

不登校を経験されたかたのお話(その7)ご家庭が落ち着いてくると②

 今回も、前回の続きです。

 不登校が始まって家庭内が不安定になった後、どのように家庭内が安定したのかをまとめます。

 発言は、ここ数年間の「不登校を考えるシンポジウム」パネルディスカッションに参加された保護者の皆様の発言です。


○ 今まで子どもに寄りそえなかった反省をするようになっていきました。学校に行けないときには、本人に課題を与えて、できたらいっしょに喜ぶようにしました。

 実は、本人に過呼吸の症状が出るようになって、強引に学校に行かせることをやめました。これまでとは身体状態や健康状態が変わってきてしまったことによって、親は、待つように心がけるようになっていきました。

○ 本人がやれることをやれるようにしていきました。指示は絶対にしません。生活習慣にだけを気をつけるようにしました。それは次のようなことです。朝は起きる、夜は寝る、単純に言うとこれだけのことです。

 このとき、親以外の人たちが子どもを心配してくれていたことも、安心をもたらしたように思います。

 無理に学校に行かせることではなく、玄関まで行こうとか、先生と玄関で話すとか、順番に挑戦をさせていくようにしました。

 指示や命令をしなかったのは、本人の意思を大切にしたかったからです。

 例えば、指示をしたとしても、本人が「いやだ」といった場合には、「やりたくないのだな」と思うようにして、「いつごろならできるようになるの?」というように、本人がやろうとするときまで、ひたすら待つことを心がけました。本人もがんばろうとする気持ちはあるので、それを信じて待つようにしました。

 そうやって、本人が多くのことを決めるようにしていきました。親としては待つことは辛いのですが、それは、親が本人を信じていることを、言葉ではなく態度で示すことになったのだと思います。


 今回はいかがでしたでしょうか?

 次回も、不登校のあいだの「親の姿勢」を、経験された保護者の言葉でまとめます。

 ご期待ください。

 次回は、6月29日(月)にアップロードを予定しています。

不登校を経験されたかたのお話(その6) 不登校開始から、家庭の安定期へ

 今回は、学校に行かなくなった初期段階の混乱と不安の期間から、どのように家庭生活が安定していったのか、「不登校を考えるシンポジウム」のパネリストとして参加された保護者の言葉をまとめました。


〇 家の中で気を使っていました。何を言えばいいのか、何を言うと本人を傷つけてしまうのか、家族の中でもピリピリしている状態が続きました。家族全体は不登校によって変化をしていた状況でした。「不登校」を受け入れるというつらい過程がありました。

 やがて、本人が本音を言える段階が訪れました。その段階となって、学校に行けていない状況を受け入れて、これが日常の状態なんだと、受け入れられるようになっていきました。

 その後、本人はゲームばかりの生活になっていきます。このままでよいのか、という不安はありましたが、ある意味仕方がないとしながらも、そうしたこともすべて受け入れていくようになりました。すると、落ち着いた生活ができるようになりました。

〇 最初のころ、頭の中は「???」ばかりだったように思います。学校に行かなくなったということで、これがいつまで続くのかという不安もありました。

 今は高校にも行けているし、就職も決まったから安心感はありますが、当時の不安は相当に大きかったです。

 家で本人が暴れる場合もありました。部屋の壁に穴を開けたりもしました。また、そうしたことを親が責めたりもしました。

 今では笑えますが、適応指導教室に行くようになるまでがとっても困難な時期でした。親子で死のうと考えたこともあります。その一歩手前までいったように思います。

「大丈夫」という安易な他者の言葉ほどつらいものはありませんでした。

 接し方は、例えるならば、植物に水や太陽を与えるタイミングみたいのものがありますが、私は、子どもに無理やり水を与えたり、太陽の光を浴びせかけるようなことをしていたのだと、今感じています。そうした親の姿勢が、子どもにとって苦痛だったのではないかと、今は思えます。

 とくに言葉に気をつけるようにしていきました。親といるのがつらかったのではないかと思います。無理に一緒にいるのではなく、ある程度距離をとって接していました。すると、本人から歩み寄ってくるようになりました。


 次回もこの続きを掲載します。

 不登校開始の時期~それを受け入れていく過程で、家の中に安定感が生まれてくる様子を、親御さんの言葉としてまとめます。

 6月22日(月)の掲載予定です。

不登校を経験されたかたのお話(その5)そのとき親は・・・

 今回は、子どもから「学校に行きたくない」と言われたときの親の心情をまとめます。

 内容は、ここ数年の「不登校を考えるシンポジウム」のパネラーとしてご参加くださった保護者の皆さんの発言をまとめたものです。


〇 様々な感情が入り混じっていました。「行きたくない」という本人の言葉から、「行かせてはいけない」と思いながらも同時に、「明日からも学校に行かせなくてよいのか」「先生には相談できるのか」「何を先生に訊(き)けばいいのか」「どう訊(き)けばいいのか」、実に様々でした。自分の周囲にも不登校の親同士で相談できる機会や場もありませんでしたから、本当に困りました。

〇  急に朝、本人から「学校に行きたくない」と言われたときの不安は計り知れないほど大きなものがありました。学校にまずは電話をして、本人が行きたくないことを伝えると、担任の先生から「休みましょう」と言われました。そのひと言にどれだけ救われたか、ある意味、安心したように覚えていますす。ただ、その安心も一時のことで、「明日からはどうなるのか」「このあと、どうなるのか」という不安が再び湧き上がってきました。

〇 小学生のときから不登校でしたから、正直PTA理事の用事で学校に行くのも憂鬱でした。

 中学生になるまで相談する場所もわからなくて、孤独の中、耐えていたように思います。誰にも相談できず、最もつらい時期であったように思います。ただ、強引に学校に行かせることはやめました。

 できるかぎり本人の気持ちに寄り添えるようにしていきました。その間、今まで子どもに寄り添えなかった自分自身を反省をしていました。

〇 「なにがどうして?」「うちの子に限って?」戸惑いやこれまでの子育てのせいなのか、環境なのか等々、自分で自分を責めていました。

 子どもの気持ちもわからないし、本人にもそれはかわらず、言葉にもできなかったので、私も子どもも双方がとっても攻撃的になっていました。親も子どもも常にイライラしていました

〇 「なぜなのか」と自問自答し、ただただ不安なだけでした。子どももそうだし、自分もそうだし、それでも「なぜなのか」と子どもにたくさん質問したように覚えています。「なぜ?」「いじめなのか?」、そうした質問は、今考えると、子どもを責めていたように思います。


 いかがでしたでしょうか。多くの不安にさいなまれていた様子がおわかりいただけると思います。

 こうしたことに関する特集記事を、教育相談センター発行の『教育相談だより」に掲載しています。

 平成25年11月号「子どもの訴えに、どう対応するか」です。参考にしてください。

 教育相談だより第55号(H25年11月号)特集「子どもの訴えに、どう対応するか」.pdf

 次回は、不登校が始まり、その後、どうやって家庭内が安定していったのかを、今回同様に親御さんの言葉でまとめていきます。お待ちください。

 次回は、6月15日(月)に掲載予定です。

不登校を経験されたかたのお話(その4)不登校の背景には

 ここ数年間の不登校シンポジウムから、不登校となった背景について、経験されたかたがどのような言葉にしているのかをまとめました。

 実に様々です。ぜひお読みください。

 自分の子どもが不登校を経験した保護者の発言も含まれています。


〇 中1から部活動の友人とのトラブルで学校に行けなくなりました。

〇 中1の7月から学校に行かなくなりました。最初は学校から逃げ出しました。何で逃げたのかはわかりませんが、とにかく学校にいたくなかったのです。

〇 中1の3学期に部活動でいろいろあって、団体競技だったのでみんなに申し訳ないと思いながらも、学校に行けませんでした。

〇 中1の6月「学校に行きたくない」と言いました。部活動の人間関係がきっかけであったと思いますが、小学校のころからの背景があると思います。コップの水があふれるように、あふれ出したのは中学校でしたが、小学校の段階からいろいろなものがたまっていたように感じます。たまたまあふれ出したのが中学校1年生の6月だったのではないでしょうか。

〇 小学校から学校に行かなくなりました。

〇 朝起きるのが面倒でした。実際に頭やおなかが痛くなりました。そうした症状が出て、学校に行きたくないという気持ちが強くなっていきました。

〇 家庭の事情で春日部の学校に電車で通学していました。友達もいませんでしたし、勉強もできませんでした。そのまま不登校になりました。

〇 小1の冬から春日部の学校に転入しました。小2のころ、家に遊びに来た子とトラブルが発生して、学校に行けなくなりました。

〇 急に「学校に行かない」と言い出しました。問いただしても、本人は「わからない」。本人も親も原因がよくわかりません。


 実に様々な要因があると思われます。

 不登校の背景も実に様々ですし、ひとり一人違うのだということです。

 春日部市教育相談センター発行の『教育相談だより』にこのあたりのことを特集したものがありますから、参考にしてください。平成28年9月発行のものです。

 こちらのpdfファイルです。

 教育相談だより第63号(H28年9月号)特集「不登校の原因を探ること」.pdf

 さて、次回は、来週月曜日、6月8日(月)には次のようなことを掲載します。

 「お子さんが学校に行きたくないと言いだしたとき、そのとき親御さんはどんなことを感じ思ったのか」ということを、不登校を考えるシンポジウムのパネルディスカッションに参加された保護者のみなさんの発言としてまとめます。お待ちください。

不登校を経験されたかたのお話(その3)

 今回は、中学校1年生の3学期から不登校を経験されたのお話です。「C」さんといたします。

 このパネルディスカッションの時点では、Cさんは、高校に在学中です。

 質問は、春日部市教育委員会教育相談センターの臨床心理士さんです。

 司会役としてパネルディスカッションに参加しています。

質問1:不登校の背景を教えてください。

C:中学1年生の3学期から学校に行っていません。人間関係で嫌なことがありました。

 「少しだけ休もう」から始まって、周囲から「ずるい」と言われ、学校に行けなくなりました。

 

質問2:休んでいた時期は何を考え、何をしていましたか?

C:何も考えていません。ボーっとしていました。将来のことも考えていませんでした。ゲームをしていました。

 

質問3:今振り返って、不登校解消のきっかけは?

C:次のように考えられます。

 だらだらとした生活が続いていいのだろうか⇒高校にだけは進学したいという思いがありました⇒今の自分を変えなければいけないという思いがありました⇒適応指導教室に通室し始めました⇒生活のリズムが改善されていきました⇒学習するようになりました⇒高校に進学しました⇒今、高校に通学できています。

 

質問4:会場の皆さんにメッセージを

C:不登校は無駄ではないと思います。

 中学校には行っていませんが、今考えるとある意味よかったと思えています。

 とにかく「ひとり」だけで考えないことです。

 以上ご紹介いたしました。

 次回は、来週、6月1日(月)の午前中に掲載予定とします。

 内容は、「不登校の背景」となった事柄を、シンポジウムに参加の皆さんがどのような言葉にしているかを掲載します。お待ちください。