取組事例など

春日部市の取組事例などから

不登校を経験されたかたのお話(その9)休んでいるあいだは?①

 不登校を経験されたかたのお話を情報提供しています。

 今回から「学校を休んでいるあいだには、どんなことを考え、どんなことをしていたのか?」ということをまとめていきます。

 今回も、ここ数年間に行われた春日部市の「不登校を考えるシンポジウム」のパネラーの発言をまとめます。

 参考にしてくだささい。


〇 家にいて親に申し訳ないと思っていました。携帯をもっていたので、SNSで同じ趣味の人とつながっていました。これは嫌なことを乗り越えるハケ口になりました。ある意味ストレス解消になりました。同じ趣味の人と、学校外でのつながりでしたから、その会話ややり取りは楽しかったです。

司会者の質問:スマホや携帯、SNSの依存症にならずに済んだのはどうしてですか?

〇 家族と話すことのほうが大切であると、そのときには、そう考えていたからだと思います。ただし、家にいてもやることことがないから、どうしてもはまっていくことはあると思います。

(ここからは、別のかたの発言です)

〇 学校にいかなくてよいということになって、正直ホッとしていました。学校に行かなくてよいという親の条件は、家できちんと勉強をすることだったので、約束を守って勉強していました。身体も動かしていました。今考えると、それもよかったと思います。

〇 学校に行かないと、ヤバイと感じてはいました。行かないと勉強が分からなくなる、という思いがありました。ただ、家にいられると気持ちが楽でした。ときどき友だちが訪ねてきてくれたのはうれしかたです。

 SNSへの依存の自覚はありませんでしたが、今振り返ると、四六時中携帯を見ていたと思います。

 適応指導教室に通うようになって、ほかの仲間と話ができたのがよかったと思います。家族以外の人と話ができるよい機会になったからです。


 今回はいかがでしたでしょうか?

 休んでいるときには、携帯やスマホの使用によって、SNSにはまる危険性があるようです。

 ただし、それも悪いことばかりではなく、ストレス解消になったり、好きなことをすることで意欲を高められるようです。一方で、依存症にならないように、身体を動かしたり、家族と話したり、家族以外と話すことなど、自分で依存症にならない環境をつくる必要もあるようです。

 次回もこの続きです。「学校を休んでいるあいだ、どんなことを考え、どんなことをしていたのか」をまとめていきます。

 7月13日(月)にアップロードする予定です。

不登校を経験されたかたのお話(その8)~親の姿勢・態度は?③

 前回同様、親の姿勢や態度、接し方を経験された皆さんの言葉をまとめます。

 ぜひ、参考にしてください。


〇 当時、心療内科にいくことはわかりませんでした。まずは小児科医に相談し、心療内科につないでもらいました。「解離性障害」といわれ、「不登校が障害なのか?」よくわかりませんでした。

 学校に行かせるようにはしないこと、学校のことには触れないようにしました。

 家族もカウンセリングを受けるようになりました。月1回だけのカウンセリングでしたが、少しずつ安心感が増していったように思います。

〇 小児科、心療内科医にかかりましたが、なぜ行くのか子どもに説明できませんでした。また、診断名がつくことで、今後不利益になるのではないかと不安もありました。医療にかかるようになったのは、中1の冬からです。

 本人の家出もありました。とにかく探し回りました。暑いときも寒いときも探しました。のちに、お医者さんの見立てとして、「子どもの試し行動ではないか?」とアドバイスいただきました。「自分に対して母親がどんな行動をとるのかという試みである」という助言でした。

 母親が仕事を休むか、あるいは、仕事を辞めて家にいることができるか、とお医者さんに示唆されました。職場に相談し、最初は「介護休暇」を取得するようにしました。とにかくお医者さんの様々なご指導によって、不登校に対する理解が促進できたと思います。

 結局は、仕事を辞めました。この子の姉もいて、家族三人のひとり親家庭なので、収入がなくなるという重大な決断でありましたが、今考えると、その判断はよかったと思っています。

 この子と向き合うようになっていきました。

 こうしたことの積み重ねで、本人は中3から学校に行けるようになりました。高校への進学の希望もあり、今があります。


 今回の内容はいかがでしたでしょうか?

 親の姿勢や態度、接し方は、不登校解決に向けた大事なファクターであることが伝わってまいります。

 次回は、不登校を経験された青年のみなさんから、不登校で家にいる間、どんなことをしていたのかをまとめてまいります。お待ちください。

 7月6日(月)にアップロードを予定しています。

不登校を経験されたかたのお話(その7)ご家庭が落ち着いてくると②

 今回も、前回の続きです。

 不登校が始まって家庭内が不安定になった後、どのように家庭内が安定したのかをまとめます。

 発言は、ここ数年間の「不登校を考えるシンポジウム」パネルディスカッションに参加された保護者の皆様の発言です。


○ 今まで子どもに寄りそえなかった反省をするようになっていきました。学校に行けないときには、本人に課題を与えて、できたらいっしょに喜ぶようにしました。

 実は、本人に過呼吸の症状が出るようになって、強引に学校に行かせることをやめました。これまでとは身体状態や健康状態が変わってきてしまったことによって、親は、待つように心がけるようになっていきました。

○ 本人がやれることをやれるようにしていきました。指示は絶対にしません。生活習慣にだけを気をつけるようにしました。それは次のようなことです。朝は起きる、夜は寝る、単純に言うとこれだけのことです。

 このとき、親以外の人たちが子どもを心配してくれていたことも、安心をもたらしたように思います。

 無理に学校に行かせることではなく、玄関まで行こうとか、先生と玄関で話すとか、順番に挑戦をさせていくようにしました。

 指示や命令をしなかったのは、本人の意思を大切にしたかったからです。

 例えば、指示をしたとしても、本人が「いやだ」といった場合には、「やりたくないのだな」と思うようにして、「いつごろならできるようになるの?」というように、本人がやろうとするときまで、ひたすら待つことを心がけました。本人もがんばろうとする気持ちはあるので、それを信じて待つようにしました。

 そうやって、本人が多くのことを決めるようにしていきました。親としては待つことは辛いのですが、それは、親が本人を信じていることを、言葉ではなく態度で示すことになったのだと思います。


 今回はいかがでしたでしょうか?

 次回も、不登校のあいだの「親の姿勢」を、経験された保護者の言葉でまとめます。

 ご期待ください。

 次回は、6月29日(月)にアップロードを予定しています。

不登校を経験されたかたのお話(その6) 不登校開始から、家庭の安定期へ

 今回は、学校に行かなくなった初期段階の混乱と不安の期間から、どのように家庭生活が安定していったのか、「不登校を考えるシンポジウム」のパネリストとして参加された保護者の言葉をまとめました。


〇 家の中で気を使っていました。何を言えばいいのか、何を言うと本人を傷つけてしまうのか、家族の中でもピリピリしている状態が続きました。家族全体は不登校によって変化をしていた状況でした。「不登校」を受け入れるというつらい過程がありました。

 やがて、本人が本音を言える段階が訪れました。その段階となって、学校に行けていない状況を受け入れて、これが日常の状態なんだと、受け入れられるようになっていきました。

 その後、本人はゲームばかりの生活になっていきます。このままでよいのか、という不安はありましたが、ある意味仕方がないとしながらも、そうしたこともすべて受け入れていくようになりました。すると、落ち着いた生活ができるようになりました。

〇 最初のころ、頭の中は「???」ばかりだったように思います。学校に行かなくなったということで、これがいつまで続くのかという不安もありました。

 今は高校にも行けているし、就職も決まったから安心感はありますが、当時の不安は相当に大きかったです。

 家で本人が暴れる場合もありました。部屋の壁に穴を開けたりもしました。また、そうしたことを親が責めたりもしました。

 今では笑えますが、適応指導教室に行くようになるまでがとっても困難な時期でした。親子で死のうと考えたこともあります。その一歩手前までいったように思います。

「大丈夫」という安易な他者の言葉ほどつらいものはありませんでした。

 接し方は、例えるならば、植物に水や太陽を与えるタイミングみたいのものがありますが、私は、子どもに無理やり水を与えたり、太陽の光を浴びせかけるようなことをしていたのだと、今感じています。そうした親の姿勢が、子どもにとって苦痛だったのではないかと、今は思えます。

 とくに言葉に気をつけるようにしていきました。親といるのがつらかったのではないかと思います。無理に一緒にいるのではなく、ある程度距離をとって接していました。すると、本人から歩み寄ってくるようになりました。


 次回もこの続きを掲載します。

 不登校開始の時期~それを受け入れていく過程で、家の中に安定感が生まれてくる様子を、親御さんの言葉としてまとめます。

 6月22日(月)の掲載予定です。

不登校を経験されたかたのお話(その5)そのとき親は・・・

 今回は、子どもから「学校に行きたくない」と言われたときの親の心情をまとめます。

 内容は、ここ数年の「不登校を考えるシンポジウム」のパネラーとしてご参加くださった保護者の皆さんの発言をまとめたものです。


〇 様々な感情が入り混じっていました。「行きたくない」という本人の言葉から、「行かせてはいけない」と思いながらも同時に、「明日からも学校に行かせなくてよいのか」「先生には相談できるのか」「何を先生に訊(き)けばいいのか」「どう訊(き)けばいいのか」、実に様々でした。自分の周囲にも不登校の親同士で相談できる機会や場もありませんでしたから、本当に困りました。

〇  急に朝、本人から「学校に行きたくない」と言われたときの不安は計り知れないほど大きなものがありました。学校にまずは電話をして、本人が行きたくないことを伝えると、担任の先生から「休みましょう」と言われました。そのひと言にどれだけ救われたか、ある意味、安心したように覚えていますす。ただ、その安心も一時のことで、「明日からはどうなるのか」「このあと、どうなるのか」という不安が再び湧き上がってきました。

〇 小学生のときから不登校でしたから、正直PTA理事の用事で学校に行くのも憂鬱でした。

 中学生になるまで相談する場所もわからなくて、孤独の中、耐えていたように思います。誰にも相談できず、最もつらい時期であったように思います。ただ、強引に学校に行かせることはやめました。

 できるかぎり本人の気持ちに寄り添えるようにしていきました。その間、今まで子どもに寄り添えなかった自分自身を反省をしていました。

〇 「なにがどうして?」「うちの子に限って?」戸惑いやこれまでの子育てのせいなのか、環境なのか等々、自分で自分を責めていました。

 子どもの気持ちもわからないし、本人にもそれはかわらず、言葉にもできなかったので、私も子どもも双方がとっても攻撃的になっていました。親も子どもも常にイライラしていました

〇 「なぜなのか」と自問自答し、ただただ不安なだけでした。子どももそうだし、自分もそうだし、それでも「なぜなのか」と子どもにたくさん質問したように覚えています。「なぜ?」「いじめなのか?」、そうした質問は、今考えると、子どもを責めていたように思います。


 いかがでしたでしょうか。多くの不安にさいなまれていた様子がおわかりいただけると思います。

 こうしたことに関する特集記事を、教育相談センター発行の『教育相談だより」に掲載しています。

 平成25年11月号「子どもの訴えに、どう対応するか」です。参考にしてください。

 教育相談だより第55号(H25年11月号)特集「子どもの訴えに、どう対応するか」.pdf

 次回は、不登校が始まり、その後、どうやって家庭内が安定していったのかを、今回同様に親御さんの言葉でまとめていきます。お待ちください。

 次回は、6月15日(月)に掲載予定です。