春日部市の取組事例などから
パネラーからのメッセージⅣ
令和3年2月22日(月)アップが遅くなりました。ご容赦ください。
今回で最終回となります。
「不登校を考えるシンポジウム」のパネルディスカッションの最後の場面、パネラーからの会場へのメッセージです。
〇不登校経験の青年Aさん
学校に行かないという選択をしている皆さんへ。
学校の通う意味は、仲間や友だちをつくることだと思います。自分は学校に行けなかったので、その「友だちづくり」の部分が大きな反省です。
今後、様々な進路先で仲間や友だちづくりを大切にしてください。
それは、社会に出るとよくわかることです。
〇不登校経験の青年Bさん
「学校においで」という言葉は苦痛以外の何物でもありません。「行けていたら行っています。そんなことは言われなくてもわかっています」という不登校の気持ちを考えたうえで、関わる人たちは言葉を使ってほしいと思います。
みなさん!逃げていいんですよ。
〇不登校経験の青年の保護者Cさん
不登校の渦中ではわからないことが多くあります。泣いて、わめいていいと思います。不登校の子をもつ親でないと分からないことは多くあります。いろいろな親と出会い、また、父母の気持ちを軽くしてくれるような人たちと接していきましょう。
〇不登校経験の青年の保護者Dさん
不登校の親は、自分の子どもを認めることが大事です。学校に行けないからダメなのではありません。また、勉強ができないからダメなのではありません。かける言葉の質やタイミングが重要ですから、それを十分考えて子どもと接してください。
〇不登校生徒と関わった相談員Eさん
長年の相談員の経験から、不登校であったことの経験は捨ててほしくありません。今、不登校の子はそう思えないでしょうが、この体験をプラスにとらえて、よりよい意味づけをしてほしいと思います。
〇不登校の生徒と関わった臨床心理士Fさん
居場所の大切さを感じています。単なる言葉ではなく、通えた自信の裏付けを聞いたように思います。様々なきっかけとしての居場所を大切にしたと考えます。
今回は以上です。長い間ありがとうございました。
少しでもお役に立ったようでしたら、うれしいかぎりです。
パネラーからのメッセージⅢ
令和3年2月15日(月)
今回は、前回のパネラー(不登校経験の青年、保護者)の発言を受けて、臨床心理士さんやアドバイザーとして参加されたかた2名のお話です。
〇アドバイザーとして参加された臨床心理士Gさんのお話
家族以外の大人と関わる意味や意義は大きいと思います。また、どこかに「通う」ということの意味や意義も大きいと思います。生活習慣や健康面、人間関係に関しても「通う」ということの役割は大きいです。また、相談もできるし、認められる場面や機会もあります。
記憶の問題として、振り返ると思い出したくないこともあるのでしょうが、思い出しても大丈夫だと思えたり、振り返ることができたりするときが必ずきます。それを信じましょう。
〇アドバイザーとして参加されたHさんのお話(適応指導教室の補助員をしていたかたで、ご自身も小5~高校1年まで不登校を経験されていたかた)
今、不登校の悩みや社会復帰の難しさを感じています。
高校2年生から学校に通えるようになった経験はありますが、登校できていても、「これからも通えなくなるかもしれない不安」はもち続けていました。
それがなくなったのは、大学3年生のときに「自分自身の不登校に関するプレゼン」を行ったあとです。
そのときに、多くの人たちから賛辞を頂きました。そのことによって自分も周囲に役立てたことが「誇り」となっていきました。社会復帰できたと感じた瞬間でした。
見た目ではなく、心の中には難しいことがあることをみなさんが知りましょう。「苦しいこと」はあってよいと思います。「苦しいこと」は悪いことではありません。必ずよくなっていくものであると、信じることだし、人生をあきらめないことが大切だと思います。
次回は、同じくパネラーからのメッセージです。次回が最終回となります。ご容赦ください。
2月22日(月)10:00のアップロードを予定しています。
パネラーからのメッセージⅡ
令和3年2月8日(月)
前回の続き「不登校を考えるシンポジウム」パネルディスカッション最後の場面、パネラーからのメッセージをお送りします。
〇不登校経験の青年Aさん
不登校は無駄ではありません。中学校には行っていませんが、今考えるとよかったと思います。大切なのは、ひとりで考えないことです。
〇不登校経験の青年Bさん
不登校を恥ずかしいと思わないでください。また、周囲の皆さんには、無理を言わないでほしい、と思っています。
〇不登校経験の青年Cさん
自分から何かを発信しましょう。それを拾ってくれる人たちが必ずいます。親には、もっとコミュニケーションをとってほしいと思っています。また、もっと認めてほしいと思っていました。
最後に、必ず助けてくれる人たちがいることを忘れないでください。
〇不登校経験の青年Dさん
今、私は大学進学を目指しています。学校に通うことは当たり前なのかもしれませんが、つらいときは行かなくてもよいという選択はありだと考えます。行かなくてよいという決断も必要です。
ただし、行かないままではいけません。時間はかかるかもしれませんが、不登校から何かを学んだといえるようになるといいのではないでしょうか。
〇不登校経験の青年の保護者Eさん
思うようにいかないことが多くありました。多くの皆さんに支えられ、助けられもしました。一人で抱え込まないでください。人は何かのきっかけでよくなっていきます。焦らず、長い目で子供に寄り添ってまいりましょう。
〇不登校経験の青年の保護者Fさん
不安が多いと思います。様々な情報も入ってきます。「いつか笑える日がくる」とは思えない日々がありました。でも、暗闇の時期は必ず終わります。必ず終わりがきます。それを信じましょう。
自分としては、親も子もこうした経験によって成長できたと、今は思えます。
不登校はよくないのでしょうが、我が家には必要な時間であったと思えるときがくることを信じてほしいです。子どもを信じ、長い目で優しく子どもを見つめ、子どもとともに生きていくことが大切であると、今、しみじみと実感しています。
第2回目はいかがでしたでしょうか。
次回は、2月15日(月)10:00のアップロードを予定しています。
内容は、今回の経験者と保護者へ、臨床心理士さんやアドバイザーからの発言をお送りします。
パネラーからのメッセージⅠ
令和3年2月1日(月)
お待たせいたしました。毎年度「不登校を考えるシンポジウム」の最後の場面で、不登校を経験した青年や保護者から会場の皆さんへのメッセージをいただいています。
今回から3回で、このサイトをご覧の皆様にもメッセージとしてお届けいたします。
不登校経験の青年Aさんから
中1から中3まで不登校でした。親にも迷惑をかけていたと思っています。出席日数は中学校の3年間で9日間でした。
でも、公立高校に行くことができました。中学校に行けていなくても高校に行くことができました。
自分のやる気があれば道は開けると思います。
学校は行けなければならないと考えるのではなく、その前に自分の意思が大事だと思います。
また、学校に行けないことは「逃げ」ではないと考えます。学校に行けないことは「逃げる」ことではありません。
不登校経験の青年Bさんから
最初は、学校に行けないことがとっても不安でした。
学校に行けないことは珍しいこと、変なことではありません。
今は不安に思う親もいるとは思いますが、こうした生徒もいることは普通ではないのでしょうか。
自分の居場所を見つけ、自分のがんばりかたを発見して、がんばればいいのではないでしょうか。
不登校経験の青年Cさんから
学校に行かないのは「さぼる」ことではありません。
行かなくても高校には行けます。
今はつらいかもしれないけれど、今できることを無理せずにがんばってほしいと思います。
不登校経験の青年の保護者Dさん
心の闇は外には出てきません。身体の病気と違って、心の病気は検査や診察では外に出てこないことがありますから、みんな悩んでいると思いますが、心の病気ですので、身体の病気と同じように学校を休んでいいのではないかと感じています。
子どもを信じて、子どもが元気を取り戻していけば、道は開けてくると思います。
ストレスを溜めないようにすることが大切ではないでしょうか。
アドバイザーとしての参加した臨床心理士のEさんから
「かさぶた」のお話です。傷の場合は「かさぶた」ができます。心の傷にも「かさぶた」はあるのではないでしょうか。それが「不登校」という状態ではないでしょうか。傷の「かさぶた」の中では、傷を治すよう身体が自分で傷をいやしている状態です。薬ではなく、自分の体力、自身の治癒力(ちゆりょく)が傷を治しているのです。
こう考えるとよいのではないでしょうか。
司会進行役のコーディネーターの臨床心理士のFさんから
「かさぶた」はきれいなものではないが、中でたくさんの修復が行われていることを信じたいし、修復中であることを信じていきたいものではないでしょうか。
今回はいかがでしたでしょうか。「かさぶた」のお話はいかがでしたか。
次回もこの続きとして「パネラーからのメッセージ」をお送りいたします。
支障がなければ、2月8日(月)にアップロードを予定しています。
アップロードの延期
令和3年1月25日(月)
本日予定していました過去の「不登校を考えるシンポジウム」の、「パネラーからの聴取者へのメッセージ」は、一週間延期いたします。
お待ち申しあげている皆様には申し訳なく思います。
来週、2月1日(月)までお待ちください。