春日部市の取組事例などから
パネラーからのメッセージⅣ
令和3年2月22日(月)アップが遅くなりました。ご容赦ください。
今回で最終回となります。
「不登校を考えるシンポジウム」のパネルディスカッションの最後の場面、パネラーからの会場へのメッセージです。
〇不登校経験の青年Aさん
学校に行かないという選択をしている皆さんへ。
学校の通う意味は、仲間や友だちをつくることだと思います。自分は学校に行けなかったので、その「友だちづくり」の部分が大きな反省です。
今後、様々な進路先で仲間や友だちづくりを大切にしてください。
それは、社会に出るとよくわかることです。
〇不登校経験の青年Bさん
「学校においで」という言葉は苦痛以外の何物でもありません。「行けていたら行っています。そんなことは言われなくてもわかっています」という不登校の気持ちを考えたうえで、関わる人たちは言葉を使ってほしいと思います。
みなさん!逃げていいんですよ。
〇不登校経験の青年の保護者Cさん
不登校の渦中ではわからないことが多くあります。泣いて、わめいていいと思います。不登校の子をもつ親でないと分からないことは多くあります。いろいろな親と出会い、また、父母の気持ちを軽くしてくれるような人たちと接していきましょう。
〇不登校経験の青年の保護者Dさん
不登校の親は、自分の子どもを認めることが大事です。学校に行けないからダメなのではありません。また、勉強ができないからダメなのではありません。かける言葉の質やタイミングが重要ですから、それを十分考えて子どもと接してください。
〇不登校生徒と関わった相談員Eさん
長年の相談員の経験から、不登校であったことの経験は捨ててほしくありません。今、不登校の子はそう思えないでしょうが、この体験をプラスにとらえて、よりよい意味づけをしてほしいと思います。
〇不登校の生徒と関わった臨床心理士Fさん
居場所の大切さを感じています。単なる言葉ではなく、通えた自信の裏付けを聞いたように思います。様々なきっかけとしての居場所を大切にしたと考えます。
今回は以上です。長い間ありがとうございました。
少しでもお役に立ったようでしたら、うれしいかぎりです。
パネラーからのメッセージⅢ
令和3年2月15日(月)
今回は、前回のパネラー(不登校経験の青年、保護者)の発言を受けて、臨床心理士さんやアドバイザーとして参加されたかた2名のお話です。
〇アドバイザーとして参加された臨床心理士Gさんのお話
家族以外の大人と関わる意味や意義は大きいと思います。また、どこかに「通う」ということの意味や意義も大きいと思います。生活習慣や健康面、人間関係に関しても「通う」ということの役割は大きいです。また、相談もできるし、認められる場面や機会もあります。
記憶の問題として、振り返ると思い出したくないこともあるのでしょうが、思い出しても大丈夫だと思えたり、振り返ることができたりするときが必ずきます。それを信じましょう。
〇アドバイザーとして参加されたHさんのお話(適応指導教室の補助員をしていたかたで、ご自身も小5~高校1年まで不登校を経験されていたかた)
今、不登校の悩みや社会復帰の難しさを感じています。
高校2年生から学校に通えるようになった経験はありますが、登校できていても、「これからも通えなくなるかもしれない不安」はもち続けていました。
それがなくなったのは、大学3年生のときに「自分自身の不登校に関するプレゼン」を行ったあとです。
そのときに、多くの人たちから賛辞を頂きました。そのことによって自分も周囲に役立てたことが「誇り」となっていきました。社会復帰できたと感じた瞬間でした。
見た目ではなく、心の中には難しいことがあることをみなさんが知りましょう。「苦しいこと」はあってよいと思います。「苦しいこと」は悪いことではありません。必ずよくなっていくものであると、信じることだし、人生をあきらめないことが大切だと思います。
次回は、同じくパネラーからのメッセージです。次回が最終回となります。ご容赦ください。
2月22日(月)10:00のアップロードを予定しています。
パネラーからのメッセージⅡ
令和3年2月8日(月)
前回の続き「不登校を考えるシンポジウム」パネルディスカッション最後の場面、パネラーからのメッセージをお送りします。
〇不登校経験の青年Aさん
不登校は無駄ではありません。中学校には行っていませんが、今考えるとよかったと思います。大切なのは、ひとりで考えないことです。
〇不登校経験の青年Bさん
不登校を恥ずかしいと思わないでください。また、周囲の皆さんには、無理を言わないでほしい、と思っています。
〇不登校経験の青年Cさん
自分から何かを発信しましょう。それを拾ってくれる人たちが必ずいます。親には、もっとコミュニケーションをとってほしいと思っています。また、もっと認めてほしいと思っていました。
最後に、必ず助けてくれる人たちがいることを忘れないでください。
〇不登校経験の青年Dさん
今、私は大学進学を目指しています。学校に通うことは当たり前なのかもしれませんが、つらいときは行かなくてもよいという選択はありだと考えます。行かなくてよいという決断も必要です。
ただし、行かないままではいけません。時間はかかるかもしれませんが、不登校から何かを学んだといえるようになるといいのではないでしょうか。
〇不登校経験の青年の保護者Eさん
思うようにいかないことが多くありました。多くの皆さんに支えられ、助けられもしました。一人で抱え込まないでください。人は何かのきっかけでよくなっていきます。焦らず、長い目で子供に寄り添ってまいりましょう。
〇不登校経験の青年の保護者Fさん
不安が多いと思います。様々な情報も入ってきます。「いつか笑える日がくる」とは思えない日々がありました。でも、暗闇の時期は必ず終わります。必ず終わりがきます。それを信じましょう。
自分としては、親も子もこうした経験によって成長できたと、今は思えます。
不登校はよくないのでしょうが、我が家には必要な時間であったと思えるときがくることを信じてほしいです。子どもを信じ、長い目で優しく子どもを見つめ、子どもとともに生きていくことが大切であると、今、しみじみと実感しています。
第2回目はいかがでしたでしょうか。
次回は、2月15日(月)10:00のアップロードを予定しています。
内容は、今回の経験者と保護者へ、臨床心理士さんやアドバイザーからの発言をお送りします。
パネラーからのメッセージⅠ
令和3年2月1日(月)
お待たせいたしました。毎年度「不登校を考えるシンポジウム」の最後の場面で、不登校を経験した青年や保護者から会場の皆さんへのメッセージをいただいています。
今回から3回で、このサイトをご覧の皆様にもメッセージとしてお届けいたします。
不登校経験の青年Aさんから
中1から中3まで不登校でした。親にも迷惑をかけていたと思っています。出席日数は中学校の3年間で9日間でした。
でも、公立高校に行くことができました。中学校に行けていなくても高校に行くことができました。
自分のやる気があれば道は開けると思います。
学校は行けなければならないと考えるのではなく、その前に自分の意思が大事だと思います。
また、学校に行けないことは「逃げ」ではないと考えます。学校に行けないことは「逃げる」ことではありません。
不登校経験の青年Bさんから
最初は、学校に行けないことがとっても不安でした。
学校に行けないことは珍しいこと、変なことではありません。
今は不安に思う親もいるとは思いますが、こうした生徒もいることは普通ではないのでしょうか。
自分の居場所を見つけ、自分のがんばりかたを発見して、がんばればいいのではないでしょうか。
不登校経験の青年Cさんから
学校に行かないのは「さぼる」ことではありません。
行かなくても高校には行けます。
今はつらいかもしれないけれど、今できることを無理せずにがんばってほしいと思います。
不登校経験の青年の保護者Dさん
心の闇は外には出てきません。身体の病気と違って、心の病気は検査や診察では外に出てこないことがありますから、みんな悩んでいると思いますが、心の病気ですので、身体の病気と同じように学校を休んでいいのではないかと感じています。
子どもを信じて、子どもが元気を取り戻していけば、道は開けてくると思います。
ストレスを溜めないようにすることが大切ではないでしょうか。
アドバイザーとしての参加した臨床心理士のEさんから
「かさぶた」のお話です。傷の場合は「かさぶた」ができます。心の傷にも「かさぶた」はあるのではないでしょうか。それが「不登校」という状態ではないでしょうか。傷の「かさぶた」の中では、傷を治すよう身体が自分で傷をいやしている状態です。薬ではなく、自分の体力、自身の治癒力(ちゆりょく)が傷を治しているのです。
こう考えるとよいのではないでしょうか。
司会進行役のコーディネーターの臨床心理士のFさんから
「かさぶた」はきれいなものではないが、中でたくさんの修復が行われていることを信じたいし、修復中であることを信じていきたいものではないでしょうか。
今回はいかがでしたでしょうか。「かさぶた」のお話はいかがでしたか。
次回もこの続きとして「パネラーからのメッセージ」をお送りいたします。
支障がなければ、2月8日(月)にアップロードを予定しています。
アップロードの延期
令和3年1月25日(月)
本日予定していました過去の「不登校を考えるシンポジウム」の、「パネラーからの聴取者へのメッセージ」は、一週間延期いたします。
お待ち申しあげている皆様には申し訳なく思います。
来週、2月1日(月)までお待ちください。
今年度の不登校を考えるシンポジウム
令和3年1月18日(月)
しばらくおお休みをいただきましたこのコーナーですが、今日から再開します。
さて、今年の初回の内容は、令和2年度の「不登校を考えるシンポジウム」に関する情報です。
今年の「不登校を考えるシンポジウム」は、
リモートでの実施となります!
毎年度、2月の第一土曜日に春日部市教育センター視聴覚ホールで開催してきましたが、新型コロナウィルス感染症拡大防止対策のため、リモート開催といたします。
講演については、動画配信いたします。詳細は、このページに添付したpdfファイルをご覧ください。配信日時等を確認できます。
また、パネルディスカッションはありませんが、過去のパネルディスカッションについて、このページをお読みいただくことで代替とします。
次のファイルです。
第17回(令和2年度)不登校を考えるシンポジウムリーフレット.pdf
ぜひアクセスして、学校に行きたくても行けない子どもたちのために、様々な方策を共に考えてまいりましょう。どうかよろしくお願いいたします。
次回は、これまでのパネルディスカッションの内容から、「パネラーの聴取者へのメッセージ」をまとめてまいります。ご期待ください。
令和3年1月25日(月)のアップロードを考えています。
不登校を経験されたかたのお話(その21)進路決定は?
令和2年11月24日(火)
今回も進路決定に関するお話ですが、今回は先週お話されたかたの親御さんのご意見です。
2週分比較して読まれることをご推奨いたします。
本人が親に最初に進路の話をしてきたのは、「高校に行きたい。行きたい高校はココです」という言葉でした。こうして自分の希望する学校と学科を明確に言われたのがスタートでした。
その後、学力的なことを考えていきました。学力的な面で不安はありました。模擬テストでも合格圏内ではありませんでした。
塾への通学も考えましたが、塾も学校と同じで、集団での学習は無理であると判断しました。
教員免許を持っていいらっしゃる習い事の先生に家庭教師をお願いすることにしました。中3になって一年間は学校に通えるようになり、家庭教師も続けました。本当によい先生でした。本人の気持ちも十分にくんで応対してくれました。ただ、合格までは不安でした。
事前に学科についても十分調べました。見学したり、説明会に参加しました。そのうえで進路希望先を決定していきました。
今、この学科を選んでよかったと感じています。サポート校の説明会にもいって、進路についていっぱい学びました。
大学への進学も認めていたのですが、本人の決定を尊重して、高卒後の就職を選択しました。
今回はいかがでしたでしょうか。親子の話を2週連続で2回にわたって掲載しました。
ぜひ、参考にしてください。
さて、次回以降このコーナーはしばらくお休みいたします。
再開は、年が明けて、令和3年1月18日(月)を予定しています。申し訳ございませんが、しばらくお待ちください。
不登校を経験されたかたのお話(その20)進路決定は?
令和2年11月16日(月)
今回も、今週と来週の2回連続のものです。
今回も、不登校を経験したかたの進路選択に関する思いをまとめます。
次回(来週)は、その生徒の親御さんの当時の思いをお伝えします。
2回連続、対の内容としてお読みください。
中3のとき、中卒では生きていくうえで不利になるからという理由で高校への進学を考えました。
行きたい高校はすでに決まっていました。動植物が好きだったので、それらに関わる高校、学科を選択しました。学力の面も心配はしていませんでした。
とにかく、当時は自分の好みで高校と学科を選択しています。
高校卒業後、就職しました。大学への進学を考えなかったのは、大学で何を学んでいくのかがよく自分には見えてこなかったからです。
しかも、大学なら何歳でも通えるのではないか、社会に出てからでも大学には通えるのではないかと考えていたからです。
真に学びたいものができたら大学に行けばいいや、そう思い、高校卒業後は就職をしました。
今回のお話はいかがでしたか。次回はこのかたの親御さんの思いをまとめます。ご期待ください。
アップロードは、11月24日(火)10:00~を予定しています。
不登校を経験されたかたのお話(その19)進路決定は?
令和2年11月9日(月)
今回は、先週の体験談のかたの親御さんの発言です。
ぜひ、親子の相互の考えを参考にしてください。
子どもには、高校に行く行かないの選択は任せました。
ただし、全日制や定時制、単位制などの情報は親が与えました。通えなくなったときのデメリットも伝えました。とにかく本人の選択を第一にしました。
それによって本人に責任を持たせたいと考えていました。自分で選択するということが、「プラスもマイナスも自分自身で受け入れる」ということを大切にした結果であると思います。
結局単位制高校を選択しましたが、この進学について父親は反対しました。しかし、本人が父親を説得することになりました。
大学にも進学しました。「臨床心理学科」でした。自分の特性を知ることがほんとうによいかという疑問はありました。が、本人の意思をとにかく尊重しました。
就職に関しては、親はまったく感知していません。見守っているだけでした。
今週は、先週のお話と一対で考えていただけると幸いです。親子の考えの比較をしていただけるだけで参考になるのではないかと考えました。
次回も「進路決定に関する内容」です。次回とその次の2回で、今回と同じように親子の考えを比較します。お待ちください。
不登校を経験されたかたのお話(その18)進路決定は?
令和2年11月2日(月)
今回も進路決定にかかわるお話です。
いつものように「不登校を考えるシンポジウム」のパネルディスカッションに参加されたかたのお話です。今回は、一人のかたのお話です。じっくりとお読みください。
高校進学を目指しました。
なぜなら次のような理由があったからです。
中学校の学校生活はたった3か月でした。学校生活にあこがれていました。学校生活ができなかったのは心残りでした。学校生活というものを経験したかったことが、高校進学の大きな理由です。ただし、母は、高校進学にこだわってはいませんでした。
選択したのは「単位制高校」でした。大学のようなシステムの授業でした。自分のような者には適切であったように思います。目的があったので「塾」にも同時に通いました。
5年間の高校生活のあとは、自分自身の特性を理解するために、大学への進学を目指しました。心理学です。
大学の学びも、自分自身の特性についてでしたが、結局は自分自身のことは理解しきれませんでした。大学院への進学も考えましたが、大学卒業後は就職しました。
今の職業を選択した理由は、中学校の職場体験と相談室での経験が大きかったことを感じています。大学生のころ、中学校の相談室の学習ボランティアをしました。その経験も大きかったです。
今の職業に十分満足しています。
これまでの自分自身の様々な経験があるから今の自分があると考えています。
今回はいかがでしたでしょうか。中学校卒業後の進路だけではなく、その後、今の職業につながっている部分までのお話を伺うことができたので、大変貴重なご意見だと思います。
さて、次回は、このかたの親御さん(保護者)のお話をまとめます。
次回は、11月9日(月)10:00のアップロードを予定しています。
不登校を経験されたかたのお話(その17)進路決定?
令和2年10月26日(月)
今回も「進路決定にかかわるお話」をまとめました。
今回は保護者の意見です。
内容は、春日部市「不登校を考えるシンポジウム」のパネラーのお話をまとめたものです。
○ 中学校は正直、出席「0」でした。ですから、とにかく本人の意思を尊重しました。
本人の希望中心の進路選択でした。
○ 中3のころ「高校に行きたい」という本人の強い気持ちがまずありました。
そうした本人の意思はとても大切なのですが、「学力」という問題がありました。
「学力」を高めるために、学校と同じ集団という環境である「塾」に行かせようとは思いませんでした。そこで、知り合いに家庭教師をお願いすることにしました。そのことによって「学力」を向上させました。そして、高校に進学しました。
今回も進路の選択にかかわる内容でした。いかがでしたでしょうか。
次回も同じです。まずは経験者のお話を掲載します。
じかいは、11月2日(月)の10:00にはアップロードしようと考えています。
不登校を経験されたかたのお話(その16)進路決定は?
令和2年10月19日(月)
今回も「進路決定にいたるまでの思いや考え」をまとめました。
お話は、春日部市「不登校を考えるシンポジウム」のパネルディスカッションに参加されたかたのものです。
○ 高校にはできれば行きたい気持ちがありました。不登校の自分でも行ける高校を選びました。公立の単位制を自分で勝手に決めました。母には、「3年間で卒業する」と決意を伝えました。
○ 進学する気はありませんでした。しかし、中学校の先生が進学を勧めてくれました。このままでは、自分がだめになってしまうのではないかと思い、進学を選択しました。
○ 最終学歴が「中卒」では嫌でした。だから進学しました。自分の好きなことのできる学校を選びました。校外の実力テストを受けて、学力にあった高校を選びました。
○ 中3から通っていた適応指導教室で相談して決めました。家から近い学校を選びました。自分にあった雰囲気の学校を選びました。実際に見学や説明会に足を運んで決めました。
今回はいかがでしたか。
次回も進路選択に関わる内容です。保護者のお話を掲載予定です。
次回は、10月26日(月)の10:00にアップロードを予定しています。
不登校を経験されたかたのお話(その16)進路決定はどのように?
令和2年10月12日(月)
今回から数回シリーズで「進路決定にいたる思いや考え」などをまとめていきます。
今回も春日部市不登校を考えるシンポジウム「パネルディスカッション」に参加されたかたがたのお話です。
〇 中1から勉強していないあせりから、中2で塾に通うようになりました。その塾には同じ中学校の生徒がいなかったので、安心して通えました。
適応指導教室にも通っていて、そこで出会った1つ上の先輩の姿や話から、その先輩と同じ高校を選ぶことにしました。
〇 高校から心機一転やり直そうと考えていました。同じ中学校からの進学者のいない高校を選びました。
自分の将来の目標の「福祉」を学べる学校を選びました。
〇 自分で選んだ高校でした。「定時制でもいいよ!」と親が言ってくれたのがとても助かりました。3年間で卒業する定時制でしたから、「3年間で卒業する!」と親に約束して進学しました。
単位制でもありましたから、行事もないので自分としては気楽ですし、助かりました。
〇 (保護者から)進路について息子とよく話し合いました。進学するのか?高校へは行かないのか?などです。高校に行かない場合のメリット・デメリットについては、親としてきちんと話をしました。これが、先を生きる親の責任であると思っていました。
もう一度中学校生活をやり直したいが、それは無理であることはわかっていました。
全日制なのか、単位制なのかという選択をして、見学にも行きました。全日制も単位制も両方見学しました。空気感を大切にして、本人が選ぶことを最優先して選択しました。
今回はいかがでしたでしょうか?保護者の意見も含めてまとめました。
次回も「進路決定に関する内容」です。10月19日(月)10:00のアップロードを予定しています。
不登校を経験されたかたのお話(その15)不登校解消のきっかけは?③
令和2年10月5日(月)
今回も不登校解消のきっかけについてです。
お話は、毎回同じように「不登校を考えるシンポジウム」のパネルディスカッションの参加者です。
〇 学校のさわやか相談室への登校が大きなきっかけだったと思います。
家にいるよりは学校の相談室に行くことで、学校に通うリズムを取り戻すことになりました。それが今考えると重要であったと思えます。
高校への進学も、相談室登校によって進学希望するように考えが変わっていきました。
相談室の存在は自分にとって大きかったともいます。
たとえば、塾など別の場所であったなら、高校への進学も考えられなかったかもしれません。
〇 適応指導教室への通室が大きなきっかけでした。
それまではどこにも行けなかったが、適応指導教室に通えたことは自信になりました。
だから高校へも行けたと思います。
様々な相談もしてもらえたし、多様な考えを持つこともできました。
今回はいかがでしたでしょうか。
次回は、10月12日(月)の掲載を予定しています。
次回から「進路選択に関するお話」です。
不登校を経験されたかたのお話(その14)不登校解消のきっかけは?②
令和2年9月28日(月)
今回も「不登校解消のきっかけ」についてです。
今回は保護者の発言をまとめました。
〇 第一は、本人の気持ちの尊重でした。
次に、子どもが安心して通える場所を見つけたことです。つまり、ステップ教室で家族以外のかかわりができ、家族以外の人との関係ができることでが、本人の自信につながったのではないでしょうか。
何よりも卒業式で中学校の教室に初めて行けたことは、大きな自信になりました。
最後は、進路の選択です。自分で見つけた自分で通える場所でした。今もしっかり通っています。
〇 子どもが自分のことをしっかりと見つめることができるようになったのが第一です。そのように仕向けてくださった関係の皆さん、友人や先生、臨床心理士さんなどの存在が大きかったように思います。さらに、そうした関係の皆さんの気持ちを受け止められるようになった本人のこころの成長だと思います。
親は、子どもを信じて待つこと、それは必ず子供に伝わります。そうしてくことで、親御互いが寄り添える存在になっていきました。こうした関係性が大事であると、今、改めて感じています。
今回のお話はいかがでしたでしょうか。
次回も「不登校の解消のきっかけ」についてです。
次回は、10月5日(月)を予定しています。
お待ちください。
不登校を経験されたかたのお話(その13)不登校解消のきっかけは?①
令和2年9月14日(月)
二学期の開始です。遅くなりました。ご容赦ください。
今学期も週に1回程度、情報を掲載してまいります。ぜひお読みください。
今回から「不登校解消のきっかけ」のお話です。
いつものように、お話はここ数年の「春日部市不登校を考えるシンポジウム」パネルディスカッションに参加されたかたのお話です。
司会者:不登校を解消されたきっかけは?
〇 母親の縁があって適応指導教室に通うようになりました。中学3年生からです。
その教室でいっしょになった生徒が学校に登校するようになっていったのが、とても刺激になりました。
その後、自分も学校の「さわやか相談室」への登校ができるようになっていきました。それがきっかけだったと思います。
〇 母の願いは、「家にいるのではなくて、どこかに通ってほしい」というものでした。
この願いから適応指導教室に通うようになりました。
すると、自分と同じような仲間がいることがわかってきました。そのことによって元気を取り戻し、高校からがんばろうという気持ちになりました。
その後、学校の「さわやか相談室」に登校できるようになっていきました。
〇 このままではいけないと感じていました。体力的にもよくなくて、がんばりたいという気持ちがわいてきました。高校に行っても学習についていけるように、学習を始めるようになりました。これがきっかけであったと思います。
〇 中3の進路選択が岐路であったように思います。学校生活をしなければいけないという本人の気持ちが改善へと向かわせた第一歩ではないかと思います。(母親)
今学期も、こうした体験談を掲載してまいります。ぜひ、参考にしてください。
間(あいだ)が空きますが、次回の掲載は9月28日(月)を予定しています。
不登校を経験されたかたのお話(その12)支えや励みになったことは?
今回は、学校を休んでいるあいだ、「支えや励みになったこと」をまとめます。
お話は、ここ数年間の春日部市教育委員会主催「不登校を考えるシンポジウム」のパネラーの皆さんの発言をまとめたものです。
〇 自分の趣味について語れるSNSが、心の支えや励ましになりました。しかも、同じような趣味なので、いまだに連絡を取り合っています。
また、いっしょに住んでいた祖母が「学校に行け」と言わなくなったことは、心を楽にしました。
〇 好きなテレビを見ていたり、好きなことをしていることが、心の支えになったし、励みにもなりました。
家族と過ごしていることも心の支えでした。
〇 家族や友だちが優しく接してくれたことです。
「学校に行け」と家族に言われなかったことも、安心感を増しました。
テレビもよいのですが、散歩に行ったり、身体を動かすことも心の支えになっていたと、今、実感しています。
今回はいかがでしたか?学校を休んでいるあいだには、様々な心の葛藤があったのでしょうが、様々なことが心の支えになっていたようです。
とくに家族の存在は大きなものではないかと思います。
さて、一学期はこれで連載を終了します。夏季休業中は中断いたしますが、この続きは、二学期からです。今年はイレギュラーな年ですから、二学期は8月21日からですが、この連載は、九月になってからスタートします。お待ちください。
それではすばらしい夏休みをお過ごしください。
不登校を経験されたかたのお話(その11)休んでいるあいだは?③
今回も、家にいるあいだにどんなことを考え、何をしていたのかをまとめます。
前回同様、春日部市教育委員会主催の「不登校を考えるシンポジウム」パネルディスカッションにご参加のかたのお話をまとめました。
〇 家にいましたが、パソコンやスマホもなく、TVや漫画、ゲームでした。だんだんやることがなくなりました。とにかく、ただただ学校に行くのが怖いと思っていました。
いかなければいけないと思っていましたし、親にも兄弟にも申し訳ない気持ちがありましたので、夜になるとよくいろいろなことを考えました。「明日はいけるか、明日は大丈夫か」などです。
また、夜には母親とよく話をしました。
せめて学校行事くらいは参加したいと思っていました。ただ、スキー教室や修学旅行にいきましたが、正直しんどかったです。帰ってくると疲れました。行事の当日は何をしたのかよく覚えていません。
とくに記憶に残っているのは卒業式です。でも、式には参加できませんでした。体育館の2階で呼名されるのを待ちました。今思い返すと、ある意味で卒業式は「けじめ」だったように思います。式には出られなくとも・・・・・・。
〇 家のPCで動画を見ていました。家にいたのでTVを見るか、読書をしていました。小説を読んでいました。
本は、市の図書館で借りました。
また、好きな食べ物をひたすら作って食べていました。何かを作ることは楽しかったです。
本を読むこともなぜ楽しいのか自分ではわかりませんでした。今では、現実逃避のために本を読んだように思います。ストーリーに入ると、今の自分の状態を考えなくて済むからです。
習い事を小学校から行っていて、それはあるスポーツでした。そのスポーツだけは必ず続けました。それがないと、家から出られなくなると考えていました。
また、そのスポーツでうまくいっていたこともありましたし、身体を使うことで疲れるのが大事でした。疲れると何も考えなくてすむからです。それに、夜眠ることもできるからでした。
今回の内容は いかがでしたでしょうか?
休んでいるあいだの生活のヒントがたくさんあったのではないでしょうか。
次回は、7月29日(月)にアップを予定しています。内容は、「学校を休んでいる間に励みになっていたこと」をまとめていきます。お待ちください。
なお、次回、7月29日(月)のアップ分を一学期の最終回とします。
不登校を経験されたかたのお話(その10)休んでいるあいだは?②
今回も、学校を休んでいる間の生活の様子をまとめました。
お話してくださったのは、ここ数年間の「不登校を考えるシンポジウム」に参加されたパネラーの方の発言です。
〇 何も考えていませんでした。ボーッとしていました。将来のことも考えていませんでした。ゲームをしていたことだけは記憶しています。
〇 何も考えていませんでした。テレビを見ているか、寝ているか、ゴロゴロしていました。
〇 同じものを作っているか、小説を読んでいました。
同じものを作るのは食事のことです。
小学校のときの授業で習った調理を家でも行いました。
慣れているので、しばらくは同じものを作っていたという意味です。
学校へは行かなければならないので、自分は悪い人間だと思っていました。
そう思うことが、やる気を殺いでいたように思います。
〇 小学生の時に買ってもらったギターを家で練習していました。通っていた音楽教室でも練習しました。このきっかけは、テレビの影響からか、シンガーソングライターにあこがれを感じて、親にギターを買ってほしいと言って、両親と買いにいきました。
このお話で、学校に行っていなくても趣味や読書、料理など、自分でできることを行うことが大切なことが分かります。次回もこの続きです。
7月20日(月)にはアップロードを予定しています。
不登校を経験されたかたのお話(その9)休んでいるあいだは?①
不登校を経験されたかたのお話を情報提供しています。
今回から「学校を休んでいるあいだには、どんなことを考え、どんなことをしていたのか?」ということをまとめていきます。
今回も、ここ数年間に行われた春日部市の「不登校を考えるシンポジウム」のパネラーの発言をまとめます。
参考にしてくだささい。
〇 家にいて親に申し訳ないと思っていました。携帯をもっていたので、SNSで同じ趣味の人とつながっていました。これは嫌なことを乗り越えるハケ口になりました。ある意味ストレス解消になりました。同じ趣味の人と、学校外でのつながりでしたから、その会話ややり取りは楽しかったです。
司会者の質問:スマホや携帯、SNSの依存症にならずに済んだのはどうしてですか?
〇 家族と話すことのほうが大切であると、そのときには、そう考えていたからだと思います。ただし、家にいてもやることことがないから、どうしてもはまっていくことはあると思います。
(ここからは、別のかたの発言です)
〇 学校にいかなくてよいということになって、正直ホッとしていました。学校に行かなくてよいという親の条件は、家できちんと勉強をすることだったので、約束を守って勉強していました。身体も動かしていました。今考えると、それもよかったと思います。
〇 学校に行かないと、ヤバイと感じてはいました。行かないと勉強が分からなくなる、という思いがありました。ただ、家にいられると気持ちが楽でした。ときどき友だちが訪ねてきてくれたのはうれしかたです。
SNSへの依存の自覚はありませんでしたが、今振り返ると、四六時中携帯を見ていたと思います。
適応指導教室に通うようになって、ほかの仲間と話ができたのがよかったと思います。家族以外の人と話ができるよい機会になったからです。
今回はいかがでしたでしょうか?
休んでいるときには、携帯やスマホの使用によって、SNSにはまる危険性があるようです。
ただし、それも悪いことばかりではなく、ストレス解消になったり、好きなことをすることで意欲を高められるようです。一方で、依存症にならないように、身体を動かしたり、家族と話したり、家族以外と話すことなど、自分で依存症にならない環境をつくる必要もあるようです。
次回もこの続きです。「学校を休んでいるあいだ、どんなことを考え、どんなことをしていたのか」をまとめていきます。
7月13日(月)にアップロードする予定です。
不登校を経験されたかたのお話(その8)~親の姿勢・態度は?③
前回同様、親の姿勢や態度、接し方を経験された皆さんの言葉をまとめます。
ぜひ、参考にしてください。
〇 当時、心療内科にいくことはわかりませんでした。まずは小児科医に相談し、心療内科につないでもらいました。「解離性障害」といわれ、「不登校が障害なのか?」よくわかりませんでした。
学校に行かせるようにはしないこと、学校のことには触れないようにしました。
家族もカウンセリングを受けるようになりました。月1回だけのカウンセリングでしたが、少しずつ安心感が増していったように思います。
〇 小児科、心療内科医にかかりましたが、なぜ行くのか子どもに説明できませんでした。また、診断名がつくことで、今後不利益になるのではないかと不安もありました。医療にかかるようになったのは、中1の冬からです。
本人の家出もありました。とにかく探し回りました。暑いときも寒いときも探しました。のちに、お医者さんの見立てとして、「子どもの試し行動ではないか?」とアドバイスいただきました。「自分に対して母親がどんな行動をとるのかという試みである」という助言でした。
母親が仕事を休むか、あるいは、仕事を辞めて家にいることができるか、とお医者さんに示唆されました。職場に相談し、最初は「介護休暇」を取得するようにしました。とにかくお医者さんの様々なご指導によって、不登校に対する理解が促進できたと思います。
結局は、仕事を辞めました。この子の姉もいて、家族三人のひとり親家庭なので、収入がなくなるという重大な決断でありましたが、今考えると、その判断はよかったと思っています。
この子と向き合うようになっていきました。
こうしたことの積み重ねで、本人は中3から学校に行けるようになりました。高校への進学の希望もあり、今があります。
今回の内容はいかがでしたでしょうか?
親の姿勢や態度、接し方は、不登校解決に向けた大事なファクターであることが伝わってまいります。
次回は、不登校を経験された青年のみなさんから、不登校で家にいる間、どんなことをしていたのかをまとめてまいります。お待ちください。
7月6日(月)にアップロードを予定しています。
不登校を経験されたかたのお話(その7)ご家庭が落ち着いてくると②
今回も、前回の続きです。
不登校が始まって家庭内が不安定になった後、どのように家庭内が安定したのかをまとめます。
発言は、ここ数年間の「不登校を考えるシンポジウム」パネルディスカッションに参加された保護者の皆様の発言です。
○ 今まで子どもに寄りそえなかった反省をするようになっていきました。学校に行けないときには、本人に課題を与えて、できたらいっしょに喜ぶようにしました。
実は、本人に過呼吸の症状が出るようになって、強引に学校に行かせることをやめました。これまでとは身体状態や健康状態が変わってきてしまったことによって、親は、待つように心がけるようになっていきました。
○ 本人がやれることをやれるようにしていきました。指示は絶対にしません。生活習慣にだけを気をつけるようにしました。それは次のようなことです。朝は起きる、夜は寝る、単純に言うとこれだけのことです。
このとき、親以外の人たちが子どもを心配してくれていたことも、安心をもたらしたように思います。
無理に学校に行かせることではなく、玄関まで行こうとか、先生と玄関で話すとか、順番に挑戦をさせていくようにしました。
指示や命令をしなかったのは、本人の意思を大切にしたかったからです。
例えば、指示をしたとしても、本人が「いやだ」といった場合には、「やりたくないのだな」と思うようにして、「いつごろならできるようになるの?」というように、本人がやろうとするときまで、ひたすら待つことを心がけました。本人もがんばろうとする気持ちはあるので、それを信じて待つようにしました。
そうやって、本人が多くのことを決めるようにしていきました。親としては待つことは辛いのですが、それは、親が本人を信じていることを、言葉ではなく態度で示すことになったのだと思います。
今回はいかがでしたでしょうか?
次回も、不登校のあいだの「親の姿勢」を、経験された保護者の言葉でまとめます。
ご期待ください。
次回は、6月29日(月)にアップロードを予定しています。
不登校を経験されたかたのお話(その6) 不登校開始から、家庭の安定期へ
今回は、学校に行かなくなった初期段階の混乱と不安の期間から、どのように家庭生活が安定していったのか、「不登校を考えるシンポジウム」のパネリストとして参加された保護者の言葉をまとめました。
〇 家の中で気を使っていました。何を言えばいいのか、何を言うと本人を傷つけてしまうのか、家族の中でもピリピリしている状態が続きました。家族全体は不登校によって変化をしていた状況でした。「不登校」を受け入れるというつらい過程がありました。
やがて、本人が本音を言える段階が訪れました。その段階となって、学校に行けていない状況を受け入れて、これが日常の状態なんだと、受け入れられるようになっていきました。
その後、本人はゲームばかりの生活になっていきます。このままでよいのか、という不安はありましたが、ある意味仕方がないとしながらも、そうしたこともすべて受け入れていくようになりました。すると、落ち着いた生活ができるようになりました。
〇 最初のころ、頭の中は「???」ばかりだったように思います。学校に行かなくなったということで、これがいつまで続くのかという不安もありました。
今は高校にも行けているし、就職も決まったから安心感はありますが、当時の不安は相当に大きかったです。
家で本人が暴れる場合もありました。部屋の壁に穴を開けたりもしました。また、そうしたことを親が責めたりもしました。
今では笑えますが、適応指導教室に行くようになるまでがとっても困難な時期でした。親子で死のうと考えたこともあります。その一歩手前までいったように思います。
「大丈夫」という安易な他者の言葉ほどつらいものはありませんでした。
接し方は、例えるならば、植物に水や太陽を与えるタイミングみたいのものがありますが、私は、子どもに無理やり水を与えたり、太陽の光を浴びせかけるようなことをしていたのだと、今感じています。そうした親の姿勢が、子どもにとって苦痛だったのではないかと、今は思えます。
とくに言葉に気をつけるようにしていきました。親といるのがつらかったのではないかと思います。無理に一緒にいるのではなく、ある程度距離をとって接していました。すると、本人から歩み寄ってくるようになりました。
次回もこの続きを掲載します。
不登校開始の時期~それを受け入れていく過程で、家の中に安定感が生まれてくる様子を、親御さんの言葉としてまとめます。
6月22日(月)の掲載予定です。
不登校を経験されたかたのお話(その5)そのとき親は・・・
今回は、子どもから「学校に行きたくない」と言われたときの親の心情をまとめます。
内容は、ここ数年の「不登校を考えるシンポジウム」のパネラーとしてご参加くださった保護者の皆さんの発言をまとめたものです。
〇 様々な感情が入り混じっていました。「行きたくない」という本人の言葉から、「行かせてはいけない」と思いながらも同時に、「明日からも学校に行かせなくてよいのか」「先生には相談できるのか」「何を先生に訊(き)けばいいのか」「どう訊(き)けばいいのか」、実に様々でした。自分の周囲にも不登校の親同士で相談できる機会や場もありませんでしたから、本当に困りました。
〇 急に朝、本人から「学校に行きたくない」と言われたときの不安は計り知れないほど大きなものがありました。学校にまずは電話をして、本人が行きたくないことを伝えると、担任の先生から「休みましょう」と言われました。そのひと言にどれだけ救われたか、ある意味、安心したように覚えていますす。ただ、その安心も一時のことで、「明日からはどうなるのか」「このあと、どうなるのか」という不安が再び湧き上がってきました。
〇 小学生のときから不登校でしたから、正直PTA理事の用事で学校に行くのも憂鬱でした。
中学生になるまで相談する場所もわからなくて、孤独の中、耐えていたように思います。誰にも相談できず、最もつらい時期であったように思います。ただ、強引に学校に行かせることはやめました。
できるかぎり本人の気持ちに寄り添えるようにしていきました。その間、今まで子どもに寄り添えなかった自分自身を反省をしていました。
〇 「なにがどうして?」「うちの子に限って?」戸惑いやこれまでの子育てのせいなのか、環境なのか等々、自分で自分を責めていました。
子どもの気持ちもわからないし、本人にもそれはかわらず、言葉にもできなかったので、私も子どもも双方がとっても攻撃的になっていました。親も子どもも常にイライラしていました
〇 「なぜなのか」と自問自答し、ただただ不安なだけでした。子どももそうだし、自分もそうだし、それでも「なぜなのか」と子どもにたくさん質問したように覚えています。「なぜ?」「いじめなのか?」、そうした質問は、今考えると、子どもを責めていたように思います。
いかがでしたでしょうか。多くの不安にさいなまれていた様子がおわかりいただけると思います。
こうしたことに関する特集記事を、教育相談センター発行の『教育相談だより」に掲載しています。
平成25年11月号「子どもの訴えに、どう対応するか」です。参考にしてください。
教育相談だより第55号(H25年11月号)特集「子どもの訴えに、どう対応するか」.pdf
次回は、不登校が始まり、その後、どうやって家庭内が安定していったのかを、今回同様に親御さんの言葉でまとめていきます。お待ちください。
次回は、6月15日(月)に掲載予定です。
不登校を経験されたかたのお話(その4)不登校の背景には
ここ数年間の不登校シンポジウムから、不登校となった背景について、経験されたかたがどのような言葉にしているのかをまとめました。
実に様々です。ぜひお読みください。
自分の子どもが不登校を経験した保護者の発言も含まれています。
〇 中1から部活動の友人とのトラブルで学校に行けなくなりました。
〇 中1の7月から学校に行かなくなりました。最初は学校から逃げ出しました。何で逃げたのかはわかりませんが、とにかく学校にいたくなかったのです。
〇 中1の3学期に部活動でいろいろあって、団体競技だったのでみんなに申し訳ないと思いながらも、学校に行けませんでした。
〇 中1の6月「学校に行きたくない」と言いました。部活動の人間関係がきっかけであったと思いますが、小学校のころからの背景があると思います。コップの水があふれるように、あふれ出したのは中学校でしたが、小学校の段階からいろいろなものがたまっていたように感じます。たまたまあふれ出したのが中学校1年生の6月だったのではないでしょうか。
〇 小学校から学校に行かなくなりました。
〇 朝起きるのが面倒でした。実際に頭やおなかが痛くなりました。そうした症状が出て、学校に行きたくないという気持ちが強くなっていきました。
〇 家庭の事情で春日部の学校に電車で通学していました。友達もいませんでしたし、勉強もできませんでした。そのまま不登校になりました。
〇 小1の冬から春日部の学校に転入しました。小2のころ、家に遊びに来た子とトラブルが発生して、学校に行けなくなりました。
〇 急に「学校に行かない」と言い出しました。問いただしても、本人は「わからない」。本人も親も原因がよくわかりません。
実に様々な要因があると思われます。
不登校の背景も実に様々ですし、ひとり一人違うのだということです。
春日部市教育相談センター発行の『教育相談だより』にこのあたりのことを特集したものがありますから、参考にしてください。平成28年9月発行のものです。
こちらのpdfファイルです。
教育相談だより第63号(H28年9月号)特集「不登校の原因を探ること」.pdf
さて、次回は、来週月曜日、6月8日(月)には次のようなことを掲載します。
「お子さんが学校に行きたくないと言いだしたとき、そのとき親御さんはどんなことを感じ思ったのか」ということを、不登校を考えるシンポジウムのパネルディスカッションに参加された保護者のみなさんの発言としてまとめます。お待ちください。
不登校を経験されたかたのお話(その3)
今回は、中学校1年生の3学期から不登校を経験されたのお話です。「C」さんといたします。
このパネルディスカッションの時点では、Cさんは、高校に在学中です。
質問は、春日部市教育委員会教育相談センターの臨床心理士さんです。
司会役としてパネルディスカッションに参加しています。
質問1:不登校の背景を教えてください。 C:中学1年生の3学期から学校に行っていません。人間関係で嫌なことがありました。 「少しだけ休もう」から始まって、周囲から「ずるい」と言われ、学校に行けなくなりました。
質問2:休んでいた時期は何を考え、何をしていましたか? C:何も考えていません。ボーっとしていました。将来のことも考えていませんでした。ゲームをしていました。
質問3:今振り返って、不登校解消のきっかけは? C:次のように考えられます。 だらだらとした生活が続いていいのだろうか⇒高校にだけは進学したいという思いがありました⇒今の自分を変えなければいけないという思いがありました⇒適応指導教室に通室し始めました⇒生活のリズムが改善されていきました⇒学習するようになりました⇒高校に進学しました⇒今、高校に通学できています。
質問4:会場の皆さんにメッセージを C:不登校は無駄ではないと思います。 中学校には行っていませんが、今考えるとある意味よかったと思えています。 とにかく「ひとり」だけで考えないことです。 |
以上ご紹介いたしました。
次回は、来週、6月1日(月)の午前中に掲載予定とします。
内容は、「不登校の背景」となった事柄を、シンポジウムに参加の皆さんがどのような言葉にしているかを掲載します。お待ちください。
不登校を経験されたかたのお話(その2)
今回は、中学校1年生から不登校を経験されたかたのお話です。「B」さんといたします。
このパネルディスカッションの時点では、Bさんは、大学卒業ののち、現在はお仕事をされています。
質問は、春日部市教育委員会教育相談センターの臨床心理士さんです。
司会役としてパネルディスカッションに参加しています。
質問1:背景理解のため、不登校になった経過を教えてください。 B:中学1年生の夏休み前から学校に行くのが怖くいなっていきました。母親にも話しました。 まるまる1年間は自宅で過ごしました。 中学2年生では、夏から秋にかけてさわやか相談室に週1~2回の登校していました。 中学3年生では、毎日、さわやか相談室に登校できるようになりました。しかし、クラスに戻ることはありませんでした。 高校からは授業をきちんと受けられるようになりました。
質問2:不登校解消のきっかけを教えてください。 B:何年も前のことなので思い出すのは難しいですが、最初は、相談室登校がきっかけではなかったかのと思います。 家にいるよりは、学校のさわやか相談室に行って、学校に行くリズムを取り戻すことになりました。これが重要であったと思います。 相談室登校によって、「高校進学希望」ができるようになったと感じています。 塾やそのほかの場所だったら、もしかすると高校に行けなかったかもしれないと思います。
質問3:会場の皆さんにひと言お願いします。 B:学校に行かない選択をしている皆さんへ。 学校の意味は、仲間や友だちをつくることです。 自分が反省しているのは、友だちづくりができなかったことです。 進学先で様々な仲間づくり、友だちづくりを大切にしましょう。 社会に出ると、それがよくわかります。 |
今回の体験談はいかがでしたでしょうか。
さて、次回も「不登校を経験されたかたのお話」第三弾です。
明日、5月26日(火)午前10:00アップロード予定です。お待ちください。
不登校を経験されたかたのお話(その1)
春日部市では、毎年度2月に「不登校を考えるシンポジウム」を開催しています。
そのシンポジウムの最初にパネルディスカッションを実施しています。不登校を経験されたかたを複数パネラーにして、自身の体験を語っていただいています。
今回は、その体験談の一部をご紹介いたします。ここ数年間のパネルディスカッションのなかからご紹介いたします。
今回は、中学校1年生から不登校を経験されたかたのお話です。「A」さんといたします。
このパネルディスカッションの時点では、Aさんは大学生になられています。
質問は、春日部市教育委員会教育相談センターの臨床心理士さんです。
司会役としてパネルディスカッションに参加しています。
質問1:差し支えない範囲で、不登校となった経緯や背景を教えてください。 A:小学校のときに、クラブ活動でいっしょだった友だちに意地悪をされていました。中学校入学後も、その子と同じような状況になっていました。その人間関係の困難さによって、中学校1年生の6月から不登校となりました。
質問2:不登校の解消のきっかけは? A:中学3年生から適応指導教室に通うようになりました。その教室に同じように通ってくる子たちが、学校に登校できるようになっていく姿が刺激になって、学校の相談室に登校できるようになっていきました。これがきっかけではないかと思います。
質問3:適応指導教室へはどのような経緯で通室するようになったのですか? A:行きたくはなかったのですが、親を心配させたくなかったからです。また、同じように適応指導教室に通うほかの子たちも、同じような仲間だと思えてたからです。
質問4:まとめとして、今このパネルディスカッションを聴いている会場の皆さんにメッセージをお願いします。 A:中1から中3まで不登校でした。親にも周囲にも迷惑をかけていたと思っています。 中3の出席日数は9日間でしたが、高校に進学することができました。 中学校に通っていなくても公立高校に進学できたので、自分でやる気があれば道は開けると思います。 学校に行かなければならないのではなく、自分自身の意思が大切だと思います。 学校に行かないことは「逃げ」ではありません。 学校に行かないのは「逃げる」こととは違うと思っています。 |
以上で紹介を終了します。
似たような気持ちや思いのあるかたがいると思います。
ただし、様子や状況、気持ちは、それぞれ個々に違うこともご承知おきください。
さて、次回も「不登校を経験されたかたのお話」第二弾です。
来週月曜日、5月25日(月)午前10:00にアップロードの予定です。お待ちください。
不登校の考え方2「個々の生徒の実態に応じた支援」
前回の新学習指導要領(平成29年告示)の総則第3章第4節2(3)不登校生徒への配慮
その最初の項目「ア」について、総則の解説書の記述を掲載します。
(3)不登校生徒への配慮
① 個々の生徒の実態に応じた支援
ア 不登校の生徒については,保護者や関係機関と連携を図り,心理や福祉の専門家の助言又は援 助を得ながら,社会的自立を促す観点から,個々の生徒の実態に応じた情報提供その他の必要 な支援を行うものとする。 |
※引用者の注 (以下の3点は実際の文章と違います。ご了承ください。実際に原典をご確認ください。)
1 最初の法令部分は省略します。
2 本文中の太字部分は、大変重要な箇所ですので、下線で太字としました。
3 また、本文の長さの関係から、一部省略をしてあります。
不登校生徒については,これらの法令等に基づき適切に支援を行うことが求められている。その際,留意する点については以下のとおりである。
不登校は,取り巻く環境によっては,どの生徒にも起こり得ることとしてとらえる必要がある。また,不登校とは,多様な要因・背景により,結果として不登校状態になっているということであり,その行為を「問題行動」と判断してはならない。加えて,不登校生徒が悪いという根強い偏見を払拭し,学校・家庭・社会が不登校生徒に寄り添い共感的理解と受容の姿勢をもつことが,生徒の自己肯定感を高めるためにも重要である。
また,不登校生徒については,個々の状況に応じた必要な支援を行うことが必要であり,登校という結果のみを目標とするのではなく,生徒や保護者の意思を十分に尊重しつつ,生徒が自らの進路を主体的に捉えて,社会的に自立することを目指す必要がある。
不登校生徒への支援の際は,不登校のきっかけや継続理由,学校以外の場において行っている学習活動の状況等について,家庭訪問も含めた継続的な把握が必要である。
さらに,不登校生徒の状況によっては休養が必要な場合もあることを十分留意しつつ、学校以外の多様で適切な学習活動の重要性も踏まえ,個々の状況に応じた学習活動等が行われるよう支援することが必要である。(以下省略)
加えて,家庭で多くの時間を過ごしている不登校生徒に対しては,その状況を見極め,当該生徒及び保護者との信頼関係を構築しつつ,必要な情報提供や助言,ICT等を通じた支援,家庭等への訪問による支援を行いことが必要である。
さらに,不登校生徒が自らの意思で登校した場合は,温かい雰囲気で迎え入れられるよう配慮するとともに,保健室や相談室や学校図書館等も活用しつつ,安心して学校生活を送ることができるような支援を行うことが重要である。
こうした支援を行うためには,学級担任のみならず教育相談担当教師など他の教師がスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカー等の専門スタッフ等と連携・分担し学校全体で行うことが必要である。加えて,必要に応じ,福祉,医療及び民間の団体等の関係機関や関係者間との情報共有を行うほか,学校間の引継ぎを行うなどして継続的・計画的な支援を行うことが重要である。その際,学校は,当該児童生徒や保護者と話し合うなどして「児童生徒理解・教育支援シート」等を作成することが望ましい。
まずは、こうした考え方や理念を皆さんで共有しましょう。それがスタートです。
明日から1週間に1回程度、「不登校を考えるシンポジウム」からの実例をご紹介します。
まず、第一段は、明日(5月22日・金)午前10時にアップロード予定です。
「不登校を経験されたかたのお話」の紹介です。乞うご期待!お待ちください。
不登校の考え方1(学習指導要領・総則)
新学習指導要領(平成29年告示 小学校:令和元年から実施/中学校:令和2年度から実施)には、次のように示されています。
総則の第3章「教育課程の編成及び実施」
第4節「生徒の発達の支援」 2「特別な配慮を必要とする生徒への指導」
(3)不登校生徒への配慮
ア 不登校生徒については,保護者や関係機関と連携を図り,心理や福祉の専門家の助言
又は援助を得ながら,社会的自立を目指す観点から,個々の生徒の事態に応じた情報提
供その他の必要な支援を行うものとする。
イ 相当の期間中学校を欠席し引き続き欠席すると認められる生徒を対象として,文部科
学大臣が認める特別の教育課程を編成する場合には,生徒の実態に配慮した教育課程を
編成するとともに,個別学習やグループ学習などの指導方法や指導体制の工夫改善に努
めるものとする。
以上のような考え方や方針でこれからの不登校を考えていくことになります。
※なお、「生徒」とあるのは、小中別の学習指導要領ですから、小学生の場合は「児童」と読み替えてください。
さて、次回は、この学習指導要領の解説を紹介します。「不登校生徒への配慮」に関する説明です。
本日(5/21・木)16:00ごろアップロード予定です。お待ちください。